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統合失調症と診断された子の親の道

ブログタイトル「名古屋で統合失調症を寛解させる道」から改めました。未成年で病識が無く病院へも行かず薬も飲まず解離性同一性障害の疑いのある聴覚過敏の統合失調症の息子を持つ親が、寛解させるまでの道のりを日記で残そうと思います。 「あなたはわたしの宝物。ようこそ我が家に生まれてきてくれてありがとう。」

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このブログは、2012年頃から妄想、幻聴を始めた息子を元に戻すための道を記すブログです。
 
息子は生まれて3ヶ月でアメリカに移り、19年間のアメリカの生活を経て、2014年12月に日本に戻り、2015年2月から、名古屋駅裏のアパートで一人で生活しています。
最初は、母親がサポートに回っていましたが、母親では手に負えなくなったため、アメリカで働いていた父親である私が日本に戻り、休職に近い形で、名古屋の実家に移り、毎日、息子の様子を伺いに、息子のアパートを訪問しています。

ことの始まりは、2013年に精神科クリニックで多動性障害ADHDの処方薬であるアンフェタミン系の薬VyVanseを飲み始めたことに起因します。

私達親は、精神科医が簡単に診断書を出すVyVanseを、副作用など疑いもせず、息子も6ヶ月間、好んでこの薬を飲んでいました。

しかし、息子の幻聴、幻覚、凶暴性は悪化の一途を辿り、精神科医に相談したところ、その後、VyVanseは一切出されなくなり、ADHDから症状は、統合失調症と診断されました。

この時は、何も疑いませんでしたが、後から調べて愕然としたのは、アンフェタミン系の薬の副作用として、統合失調症の症状が出るとのこと。
息子は、ADHDの薬であるアンフェタミン系の薬によって、覚せい剤副作用統合失調症にされてしまったのでした。

ある事件を切っ掛けに、息子は日本帰国を余儀なくされ、2014年12月に息子は単身で日本に帰国。それにあわせて、サポートのために母親も帰国。アパートが決まるまでは、名古屋の私の実家に居候。

2015年2月にアパートに移りましたが、母親との狭いアパート住まいにストレスを持ち、1ヶ月ほどの強制入院。
そのこともあり、退院後は、母親との関係悪化で、父親である私が日本にやってきました。

3月17日より父親がサポートを開始した以降の記録を残したいと思います。
同じように大変な思いをしている親御さんへ、少しでも参考になれば幸いです。



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プロフィール

HN:
お父さん
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1963/10/03
職業:
会社員(3月から10月自宅勤務)
趣味:
マラソン
自己紹介:
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